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2012.10.26 Friday,
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南予の中世城跡探訪30 ―八幡城跡―
 大津城(大洲城)跡から北西を眺めると、肱川と久米川の合流点を挟んで約500mの対岸に小高い丘が見えます。ここには、八幡城という城がありました。

 永禄11(1568)年、宇都宮氏と河野氏の対立を発端に、それぞれに同盟関係にある土佐一条氏や毛利氏も巻き込んだ鳥坂合戦が起こりました。鳥坂峰での本戦で一条氏が敗退した後、宇都宮氏は徐々に河野・毛利勢に押されていきます。小早川隆景は家臣乃美宗勝へ、自らの渡海前に「両城への攻撃は我らが着陣の上で大勢で一度にすべきだ」と伝え、帰国後には「宇都宮両城を初めとして残す所なく思い通りにして帰国した」と述べています。「両城」とは、乃美宗勝が争乱のほぼ収束した頃に宇都宮勢力に宛てた文書に記す争乱の経緯の中に、「大津・八幡両城を切り崩すための支度」を様々にしたことが見え、「両城の足弱・地下人などを私財・雑具もろとも下須戒に送り出す」よう命じています。戦国末期には、大津城とともに八幡城を合わせた両城が宇都宮氏の拠点とされていたようです。
 大津城・八幡城は、ともに久米川が肱川へ注ぐ流入口の左右に並存しており、双方が河川交通をはじめとして地域支配の上で重視され、互いに補完し合う存在だったのかもしれません。


 八幡城跡(右側の丘)と大津城跡(左側)
  両城の間に久米川が流入する

 八幡城には、その名の通り旧県社の八幡神社が鎮座しています。江戸時代には、大洲城(旧大津城)を居城とした歴代藩主から、大洲領総鎮守として篤い崇敬を受けました。


 八幡神社

 また、肱川沿いに約1.5km下流へ下ると、宇都宮神社が鎮座しています。宇都宮氏が本貫地下野国(栃木県)の二荒山神社を勧請したと伝わり、そのため神社にはその由緒を描いた絵巻『日光山並当社縁起』が伝わっています。


 宇都宮神社

2009.03.28 Saturday,09:00
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2012.10.26 Friday,09:00
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